立春が過ぎ、父の命日にお参りを済ませると 毎年 雛人形の飾りつけに取り掛かる。
何となくだが、自分の中での「決まりごと」になっており、私の中では春の訪れ
を感じる
仕事でもある。
ところが 今年はどうしたことか、全く気が進まない・・・
しめ飾りならともかく、雛人形の一夜飾りなんて聞いたこともないし、とっとと出せば済むのだが、
いよいよ娘の誕生日にまで及んでも、雛人形は押入れの天袋で、相変わらず出番待ちの状態
であった。
もうひとつ、これまで10年近くの間、私は病気とほぼ無縁で過ごしてきたが、今年は年明け早々
風邪に見舞われて以来、どこそこ調子が悪い。 いや、絶不調だ・・・
おまけにお墓参りのために用意した休みも、これまた滅多に潰れない息子が今更のように
新型インフルエンザに罹ってしまい、お参りすることが出来なかった。
3月に入ると間もなく 叔母の一周忌があるというのに、「決まりごと」に狂いが生じ、
私は落ち着かなかった。
叔母は今 都内のとある墓地に眠っている。
納骨の際に 私は生まれて初めてその墓地に足を踏み入れた。
住職さんがお経を唱える中、初夏の日差しが揺れる若葉の間から空気に反射し、辺りは
きらきらとしていた。
大都会東京のど真ん中で、むせるような新緑の香と、土を踏む感触が何とも異質であった。
近くの遊歩道では時折 ジョギングする人や、犬の散歩をする人が通り過ぎて行く中で、
いつしか私は叔母のことを思い返していた。
私の名付け親でもある叔母は 独身の頃、某商社の社長秘書をしていたと聞いている。
また、美大卒であったためか コートやパーティードレスなども、魔法使いのように
仕立てていた。![]()
私が小学校に入学する時には、お祝いに一面に刺繍が施された お道具バッグをプレゼント
してくれた。
フリルや大きなリボンのついたワンピースなどもいただいたのだが、外遊びで真っ黒に
日焼けしていたため、まっこと似合わなかったのは言うまでもない・・・
時は過ぎ、いつの頃からか クリスマスの頃になると、私は叔母にシクラメンを贈るように
なっていた。
とても喜んでくれ、必ずお礼に手紙を返してくれた。叔母の人となりを表すような、しなやかな
文字で近況を伝えてくれていて、それを目で追うのは私の楽しみにもなっていた。
更に時が過ぎると、手紙の文字は次第に小さくなり、電話に取って変わるようになり、
そのうちに、体調が芳しくない時には 叔父が連絡をくれるようになっていた。
一昨年の暮れ、いつものようにお礼の連絡をくれたのだが、「体が動かないと、お世話が
出来なくてお花が気の毒だから 来年からはご遠慮するわ・・・今までありがとう・・・」と
そんなことを言っていた。
きっと、知らせてくれたのだろうと思うけれど、本当に切なかった。
先日 ようやく お雛様の準備を終え、いつものように写真たてがついているオルゴールを
かけた。
初節句を迎えた時の娘は、満面の笑みでこちらをみている・・・
ネジを最大に回して 手を離すと、ひな祭りのメロディーが繰り返し流れる。
するとどうした訳か、不覚にもその場で泣き崩れてしまった・・・
娘が小さかった頃は どこで覚えたのか、オルゴールに合わせて
「明かりをつけましょ ぼんぼろり~」と歌っていた。そんな楽しい思い出ばかりだったから、
この時期に急に状況が変わってしまったことに私の心は付いて行けなかったのだろう・・・
そろそろ 桃の花を飾り、娘が元気に成長していることに 心から感謝したいと思う・・・